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2010年5月25日
日向曼荼羅#007

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51年前の延岡です。


これはまた古い写真ですね。今から51年前の昭和34年(1959)1月24日に撮影された延岡市中心部です(延岡市都市計画課提供)。
まず写真左の大貫町一帯を見てください。建物がほとんどなく、田んぼが広がっていますね。大貫町は昭和30年3月までは南方村でしたから、合併4年後の姿ということになります。なんとまあ寂(さび)しいところだったんですね
左上のほうに広がる田んぼは岡富、古川地区。そこから少し右の五ケ瀬川に架かる亀井橋はまだ木造橋で、橋げたの路面はデコボコの砂利道でした。
中央の島状の山は城山。そのすぐ上は岡富中学校の木造校舎。この空撮のわずか1週間後の34年1月30日、不審火によってほぼ全焼しました。生徒たちは近くの延岡、岡富、恒富小の講堂内を仕切っての不自由な授業になったのです。
延岡小は岡富中のすぐ南西側に見えますが、現在は大貫町にあります。岡富小は今山の南側に木造校舎が見えます。その後建て替えられ、校舎とグラウンドの位置が入れ替わりました。
城山のすぐ右側は野口記念館。そのまた右が市役所、そこから少し右に行った中央通の交差点に、ポツンと円状に見えるのは中央ロータリーです。この時代、交通信号機は祇園町と安賀多町の交差点にあるだけでした。マイカーやマイバイクなどを持っている人は、ほとんどいない時代ですから、暴走族だっていない平和な時代でした。
今度は中央一番上を見てください。木造駅舎時代の延岡駅です。駅の裏は田んぼが広がっていて、初夏になると駅のホームには、カエルの合唱が聞こえてきたんですヨ。
昭和34年ですから、もちろん延岡バイパス(現国道10号線)などありません。したがって、延岡大橋もないわけです。e381bee38293e381a0e38289rogo
中央右に見える学校は、木造時代の延岡中。右下は東小の木造校舎です。

両校とも田んぼの中にありますが、今は住宅や商業施設に囲まれています。
それにしても、半世紀もたつとこんなに変わるんですね。





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