提灯(ちょうちん)行列は、大人数が参加して、文字通り提灯を持ち、列をなして市中を歩く行事である。延岡だけでなく、全国各地で見られる。小嶋さんは提灯行列の思い出を、次のように書いている。
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「提灯(ちょうちん)」という灯火具が、ほとんど姿を消してしまった現在、若い読者は、ときどきテレビに出る弓張提灯(ゆみはりちょうちん)でも思い出してほしい。筆者の世代では明治時代に、日清戦争とか日露戦争というものがあり、戦地からの勝報がとどくと、町や村で「提灯行列」という祝賀行事が行われたものだった。
絵は延岡高校の前身、延岡中学校が毎年の創立記念日の5月25日に催した祝賀行事
の提灯行列である。昼は運動会、夜は提灯行列で、そのころの市民的行列になっていた。
行列は、延岡中学校の正門を出発して、川原町から大瀬橋を渡り、柳沢町を東に下り南町に出て、船倉から板田橋を渡り、今山公園に上り、現在の児童公園の広場で、万歳三唱、解散(かいさん)となるのであった。
絵は、大瀬橋を通過しつつある、行列の様子を考えて書いた。当時の生徒数は350名。提灯は纏めて学校が買い、生徒は、めいめい、竹の棒をさがしてきて括(くく)りつけ、蝋燭を2―3本入れて登校し、運動会がすむと夕食の弁当を食べ、日が暮れると大運動場に整列し、学年順に校門を出発した。軍歌か何かを歌いながら歩いたと思う。
〇明治時代の祝賀行列
日清・日露の戦時――町民は勝報が発表されると、町々あるいは村々で行事を計画し、実行した 。行事は提灯行列、旗行列、屋台(やたい)行列、変装行列など、いろいろであった。
〇おおせ橋について
古い時代には、大瀬橋という橋ななく、ただ、板を何枚か並べただけのものがあったようである 。しかし、歌人越智渓水氏が40年ほど前に出版した『郷土写真集』に「大瀬橋渡初」、明治2 3年7月31日、球灯は紅地と藤の花」と説明した郷土画家の橋飾り絵があったので、それを拝 借して、この絵を描いた。
(原文のまま)
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延岡の提灯行列は、旧制延岡中学校時代から伝わる延岡高校のものが知られている。同校の名物行事の一つにもなっており、同校では区切りのいい創立記念の年などに実施している。
最近では延岡高校創立110周年記念行事の一環として、平成21年(2009)5月16日に行われ、延岡高―県立延岡病院前―安賀多町―三ツ瀬町―大瀬町―大瀬橋―市役所のコースを歩いた。在校生を先頭に延岡高、恒富高、旧制延岡高女、旧制延岡中のOBがチョウチンを持って続いた。
それ以前の平成11(1999)年5月15日に創立100周年記念、平成元年(1989)5月20日には90周年記念の提灯行列をするなど、10年ごとに実施している。
近年の提灯行列でスケールの大きかったのは、昭和60年(1985)10月22日の若山牧水生誕100年記念行事の時に行われたもので、約1000人が参加、牧水の母校・延岡高(旧制延岡中)と延岡駅が出発地点になった。
延岡高出発隊は、主に同校OBが列をなして安賀多橋を経由。延岡駅出発隊は、牧水が創刊した短歌同人誌「創作」の会員らが中心となり、板田橋を渡って中央通交差点で延岡高出発隊と合流、野口記念館での「牧水生誕100年記念大会」に参加した。このとき創作社は、延岡で全国大会も開いている。
















