「おせったい」というと、すぐ「大師祭り」(おだいっさん)を思い出す。中には、四国八十八カ所巡礼の途中で、おせったいにあずかった人もいるだろう。ここで小嶋さんが紹介する「おせったい」は、戦前、夏場に延岡で見られた“期間限定”のおせったいである。
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「おせったい(お接待)」ならば春3月、今山の大師祭だと思う人が多かろう。けれども、絵の「おせったい」は夏7月恒富本村の昔からのおせったいの日。むしろ、古風な、郷土色あふれる行事で、場所は10号線の国道ばた。現在、トヨタ自動車の事務所前あたりだった。
小屋は組立式の藁ぶき、7月の日がかんかん照りつけ、風が日向灘から吹き通す道ばた。期間は1カ月、90戸ある恒富本村から、毎日6人ずつ出て、終日、給仕に奉仕する。客に出すのはお茶の外に、あずきやささげの煮豆、時にはおこわ飯・おはぎ・おだんご、煮〆(にしめ)なども――。
何のためのお接待か。地区の長老格、金崎のおじいさんに聞くと――。「第一に、農作物に虫がつかんごつ、そりかり、家族のもんが暑さにあたらんごつ」とのこと。
国道筋のことで、明治・大正、一本しかない往還(おうかん)だから、通るわ通るわ。畚(ほご)かつぎ、そらくちかつぎ、馬車ひき、大八車ひき、人力ひき、焚物(たきもん)売り、野菜売り、大人に子供、老人に青年、男に女。
土々呂や門川あたりから、行きがけに寄る人、帰りがけに寄る人、汗びっしょりの肌ぬぎ、中には腰まきを臍(へそ)ごろまでまくりあげて、溝(みぞご)に飛びこむと、顔からどん腹から、ふとももから、ざっぶざっぶ――。
そうすると小屋から声がかかる。「こらこら――、今日(きゅう)は、あんたんお接待が一等賞じゃもんの――」。久しく続いたこの行事、戦争から此の方、やまってしまった。
〇今山大師祭のおせったい
昔から弘法大師は庶民に親しみの深い大師。今山大師寺では毎年盛大な法要を営む。市内一般で も町ごとに尊像をまつり、お接待を行う。明治・大正の子供たちは、数日前から、その日、「お 接待もらい」に廻ることを楽しみにしており、農村の人たちは、合財袋をさげ、お遍路(へんろ )さんは、白手っ甲に白脚絆、笠をかぶり、鉦(かね)を鳴らしながら、貰って廻った。(原文 を一部修正)
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小嶋さんは、大師祭を「春3月」と書いているが、旧暦の3月のこと。弘法大師の命日は3月21日になっており、延岡では毎年4月の第3日曜日(金、土、日)が大師祭(おだいっさん)と決まっている。祭りは実際には金・土・日と3日間行われる。お接待は、その間に市内各所で見られる延岡の風物詩。
文中の合財袋は「合切袋」(がっさいぶくろ)のこと。大師祭のときは、あちこちの接待所でもらったお菓子などを、合切袋に文字通り一切合財詰め込む。これが大師祭の楽しみの一つでもある。
小嶋さんが紹介した「おせったい」の場所は、愛宕町のトヨタ自動車事務所前あたりとなっているが、正確には宮崎トヨタ自動車(株)延岡店のことで、その後、塩浜町1丁目の国道10号線沿いに移転した。現在、跡地はネッツトヨタヒムカ(株)延岡店になっている。
小嶋さんが前出の文を執筆した昭和49年(1974)ごろは、同社前の道路は国道10号線だったが、50年(1975)に開通した延岡バイパスが国道10号線となり、旧10号線は県道稲葉崎平原線になった。バイパスの開通によって、旧10号線の交通量は劇的に減った。
服を脱いで溝に飛び込んだ人の様子が書かれているが、この溝は出北用水のことで、現在は県道稲葉崎平原線の下を通って、旭化成ケミカルズ(株)薬品工場正門のすぐ東側に用水溝が顔を出している。この用水溝は、薬品工場の南側の塀に沿って流れ、日豊本線の下をくぐって、別府町(びゆうまち)から長浜方面の水田を潤している。
















