小嶋さんも書いているように、構口・伊達地区の発展は、大正11年(1922)2月11日に開業した南延岡駅によるところが大きい。日豊本線は、北と南の両方から延岡を挟み撃ちするように工事が進められ、延岡駅より南延岡駅の方が、3カ月ほど早くオープンしている。
その後、南延岡駅は国鉄大分鉄道管理局の機関区、運転区、保線区、電力区、信号通信区などが置かれ、日豊本線の重要拠点として発展、駅周辺には国鉄職員が多く住み、最近まで「鉄道の町」という雰囲気があった。
日豊本線だけでなく、日ノ影線(後の高千穂線、高千穂鉄道)や細島線の機関車や各種車両の基地になっていたこともあって、一時は客車や貨物列車が盛んに行き交い、南延岡駅は活気にあふれていた。昭和20~30年代は、そのピークだった。
しかし、国鉄が昭和62年(1987)3月31日に分割民営化され、JR九州に引き継がれると同時に職員の数も減り、機関庫や無用になったレールや建物も撤去されて、国鉄時代のにぎやかさを失った。
余談だが、同じ延岡市民でも、恒富地区の北部など南延岡駅と延岡駅の中間に住む人は、大分・小倉方面へ行くときは延岡駅を利用し、日向市・宮崎方面へは南延岡駅を利用するのが一般的。そこで南延岡駅のことを「南駅」、延岡駅は「北駅」と使い分けている。特にタクシーで南延岡駅へ行くときは「南駅までお願いします」というのがふつう。
国鉄線とは別に旭化成の専用線(引込み線)が、薬品・ベンベルグ工場、戦前は雷管工場へも南延岡駅から延びていた。現在は薬品・ベンベルグ工場への専用線のみ残っており、九州では数少ない専用線の一つになっている。
ところで構口・伊達一帯は、安賀多・春日一帯と恒富地区を二分する商業の集積地である。最近こそ空き店舗や駐車場などが目立つが、終戦後の構口・伊達町は、劇場の「南明館」、映画館の「紅楽館」と「南東映」ができ、南延岡地区の核としてにぎわいをみせた。現在は、そのいずれも残っていない。
代わって新しい商業の核となったのは、イオングループのマックスバリュ。同じ敷地内に100円ショップのダイソーがある。この場所には延岡営林署の貯木場があった。
貯木場から日豊本線の線路を挟んで東側は(株)興電舎になっているが、ここは九州電力が上椎葉ダム(昭和50年=1955完成)を建設するとき、砂やセメントなどのダム建設資材を搬送する九州索道(株)の索道(ロープウエイ)中継基地だった。当時、九州索道の本社は伊達町にあったが、現在は日本生命南延岡営業部ビルになっている。
市民はこの索道を「サルギカイ」と呼んでいた。サルギカイは、長浜町(砂を採取)から上椎葉まで、延々と実に50数キロを結んでいた。構口町は、サルギカイがちょうど国道(旧国道10号線)を横断する場所にあたり、巨大なバケットがロープにいくつもぶら下っている光景は、それこそサルのように見えた。
南延岡駅の東側の浜町は長らく昔のままの農家や水田が残っていたが、新しい国道10号線ができると様子は一変、自動車ディーラー、スーパー、アパートそれに一般住宅など建物で埋め尽くされてしまった。ただ、区画整理されていないため、国道以外は道路が狭いのが難点。構口・伊達・浜地区は今後、南延岡駅を中心とした市街地再開発が望まれる。
(この項おわり)

















