永池町1丁目にこじんまりとした社(やしろ)がある。それが「権現さん」。「永池権現」ということもあるが、正しくは「永池神社」。建物の間に挟まれるようにして鎮座しているため目立たないが、特に地元の永池、三ツ瀬、大瀬、安賀多、愛宕、新小路など恒富地区の人たちの信仰が厚い。小嶋さんは、権現さんの思い出を、次のように書いている。
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ただ「権現さんといっただけでは、何処の権現さんかはわからない。至るところに祀られている神様だから――。
権現(ごんげん)は「仏が衆生(人間)を済度(救済)するために、姿をかえて、神として現れたこと。また、現われた神のこと。あるいは仏や菩薩にならってつけた神の「尊号」というふうに辞典には書かれている。
絵の権現さんは恒富地区の永池町の権現さんで、もとは現在の恒富小学校の敷地の内の南寄りのところにあったのを、耕地整理の都合で、永池町にあった永池神社に合祀したものという。
そうした歴史があるためか、この永池神社を、現在も永池神社といったり、権現さんといったりしている。
大正12年(1923)に、東臼杵郡立延岡商業学校が、現在の旭化成サービスの敷地に、本小路の延岡小学校から移って来た時、権現さんの森は学校の正面から、いくらもない距離の田の中にあったように記憶していたのだが、今になってみると、その間に安賀多町という、大きな街(まち)ができたのだからたまらない。
商業学校も、ひろびろとした田園の中に忽然(こつぜん)と出現した感じだったし、旭化成の今のベンベルグ工場も、忽然とした感じで、恒富の大平原の中に出現したのだった。
このあたりの郷土史にくわしい金崎忠蔵翁は語る。「延岡百景の絵は、だいたいあれれでいいとですけんどん、神社のまん前に、西から東に流るる用水路がありました。神社まいりの道は、用水路から鳥居まじ、まっ直ぐ行て、そこで止っちょリました。右さねに行く道は無うして、その先は畑じゃったつです」
永池という地名から、筆者は「永池のひょうすぼ」の伝説も思い出した。明治大正ごろは「ひょうすぼ」の出そうな淋しい所だったようである。(原文のまま)
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明治・大正時代の権現さんは、社の後ろ(北側)に立派な鎮守の森があった。現在は木もまばらで、社殿の前にある大きなイチョウの木が目立つ程度。社殿の後には、昭和28年(1953)開設の恒富幼稚園があったが、後に恒富小学校の敷地内に移転した。跡地は現在、永池公民館になっている。幼稚園はその後閉園になった。
(この項つづく)
















