「新延岡百景」~小嶋政一郎氏をしのぶ~(79)春日さん=番外編③=
愛宕山は小嶋さんも書いているように、愛宕神社があることから、その名が出ている。もとは城山にあった神社で、初代延岡城主の高橋元種公が県城築城のため、愛宕山に移したという。愛宕神社の少し上の谷には、延岡城を築城するとき、切り出すためにノミを入れた跡が残っている大きな石が、そのまま置き去りにされている。
愛宕さんの総本宮は京都市右京区の愛宕神社で、京都のほか東京都港区、仙台市、水戸市、福岡市など、全国に800社ほどあり、火伏せの神として知られる。稚産日命(ワクムスヒノミコト)などを祀る。同じ火伏せの神の秋葉権現とともに、古くから神仏習合して愛宕権現と呼ばれ、大衆に馴染み深い。
愛宕山には、このほか伊達町・共栄町側の斜面に正一位稲荷大明神を祀った稲荷神社、頂上に徳川家康のひ孫・日向御前(国姫=延岡城主・有馬直純公の妻)が奉納したといわれる愛宕神社の奥宮・極天神社(ごってんさん=天空を極める聖なる神社)の鳥居の笠木(横木)がある。
日向御前は男勝りのところがあって、それまで女人禁制だった愛宕山に、馬を飛ばして登ったという話が残っている。これ以降、愛宕山の女人禁制は解かれた。神話とはいっても、とっくにコノハナノサクヤヒメが愛宕山に上がっていたのだから、神代の昔から女人禁制ではなかったハズだが、日向御前が禁を破るまで女人禁制だったとは・・・。
現在展望台のある広場には六角堂、中腹の広場には八角堂が建っていた。別当寺(神仏習合であり、神社付属の寺)の光福寺の跡で、八角堂は光堂ともいい大正末まであった。別当寺は明治初年の神仏分離令によって、姿を消していった。
極天神社下の谷の最上流に、弥都波能売神(罔象女神=ミツハノメノカミ)を祀った御手洗水神社(水神さん)がある。毎日参拝者が絶えないほど、信仰が厚い。
社殿への参道には、奉納された鳥居がまるで稲荷神社のようにズラリと並び、水神さんにしては、社(やしろ)も大きく立派だ。愛宕山でウォーキングやランニングする人たちの休憩、給水地点になっている。
ほかにも、妙見信仰(妙見菩薩=北極星の神。神道では最初に現われた天之御中主神=アメノミナカヌシノカミとも)の聖地でもある。妙見信仰は全国いたるところにみられ、妙見を冠する地名や神社などが各地に残っている。延岡市の妙見町、妙見神社もそれ。
愛宕山腹にある愛宕神社の本殿から登山道を2、30メートル登ったところには、生目神社の小さな社があり、ここも信仰が厚く、参拝者があとをたたない。
こうしてみると、愛宕山は、麓(ふもと)の春日神社を含めて、いくつもの神や仏が鎮座する神聖な場所ということがわかる。
延岡市街の北部、今山にも今山八幡宮を中心に金刀比羅神社、秋葉神社、今山恵比須神社、今山八坂稲荷神社、水神社など、諸神を祀った社がいくつもある。ほかにも多くの神社が市内各所に点在している。
(この項おわり)

















2件のコメントがあります。
愛宕神社の少し上の谷には、延岡城を築城するとき、切り出すためにノミを入れた跡が残っている大きな石が、そのまま置き去りにされている。・・・・・・・・・・・・・・・
の話しは少し聞いたような、初耳のような 今度機会があったら写真を記載して頂けませんか。
足が少し不自由しているので、特に足場の悪い場所は行けないのです。
大阪在住ですが子供の頃その沢でよく遊んでいました。
ノミを入れた跡は一本歯の下駄の形に似ていたので「天狗の足跡」と呼んでました。