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県北よもやま  バスに乗ろうじゃないか
By 0982.TV On 26 11月, 2008 At 05:14 PM | Categorized As コラム, 県北よもやま | With 0 Comments

 成人者オールマイカー時代の今、もう10年以上、路線バスには乗ったことがないという人は、相当数いるのではないか。いや、路線バスの乗り方すらおぼつかない方もいるだろう。

 

 11月26日、延岡市恒富小の1年生を対象に「バスの乗り方教室」があった。延岡市バス利用促進協議会と宮崎交通が企画したもので、乗降の仕方、運賃支払いの方法、乗降・乗車中のマナーなどを教わった。(別掲記事参照)

 

 それはそれとして、宮崎交通の初代社長・岩切章太郎氏が、大正15年(1926)、同社の前身の宮崎市街自動車を設立して今年で82年になる。現社名になったのは昭和17年(1942)、同20年(1945)には、延岡バスなどが合併して、現在の体制ができた。

 

 この時代、バス路線は県内くまなく網羅され、特に広い山間部を抱える県北にとっては、人的・物的交流の手段であり、まさしく地域住民の足だった。

 

 終戦直後は物資不足の中、バスの後ろに箱を乗せ、水生ガスで走る「木炭バス」、米軍払い下げのトレーラーバスが大活躍した。どのバスも鼻が突き出たボンネットタイプで、昭和30年代になって、リアエンジンタイプが登場してきた。鼻がないので「鼻崩(はなくえ)バス」と呼んだりした。当時のボンネットバスには、右左折・停車用のウインカーはなく、赤色の腕木をヒョイと水平に上げる方式。

 

 道路はひどく、延岡の平原町から富高(日向市)まではデコボコの砂利道。富高から宮崎の間もほとんど砂利道、”スボ(ほこり)かぶり”を覚悟しなければならなかった。延岡から宮崎までの所要時間は約3時間半。それでもバスに揺られるのは楽しかったものだ。

 

 信号機などはなく、警察官が交差点の真ん中で、両手を使って文字通りの手信号。県北で初めて信号機が設置されたのは、延岡市祇園町交差点で、昭和30年ごろのこと。宮崎市内ですら、信号機は2、3カ所しかなかった。

 

 このころは、どのバスも女性のガイドが乗っていて、乗車券の販売から「発車オーライ」の合図、「曲がりますので、ご注意ください」、「次は○○です」と肉声でアナウンスなどをこなしていた。さらに踏切を渡るときは、手前で必ず降り、安全を確認してから手招きでバスを通した。またバックのときは、ホイッスルで「ピッ、ピッ」とバスを誘導。こうした運転手とガイドのコンビネーションで、バスが走っていた。このような光景は、ワンマンバスの登場で、次第に消えていった。

 

 我々が子供のころは、マイカーなどないから、バスか汽車に乗るしかなかった。ところが、今の子供は短い距離でも、親の車に乗って出かける。だからバスなどほとんど乗ることがない。当然、乗り方も知らない。そんなわけで今回の「バスの乗り方教室」と、あいなったのだが、今やECOの時代、バスにもどんどん乗ろうじゃないか。宮崎、延岡、都城の市内区間(延岡―日向間を含む)なら500円のワンコインパス(土・日・祝日のみ利用可)が安上がり。延岡―高千穂間往復はワンデーパス(2500円)がオトク。詳しくは宮崎交通延岡自動車営業所(電話0982-32-3341)。

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