11月12日は、美郷町北郷小(奇藤亮一校長、62人)の100周年(明治41年11月12日創立)の記念すべき日にあたる。これに先立って11月2日、同小体育館で、100年記念式典をした。(詳細は、11月4日付報道)
北郷小というと、往年のマラソンランナー、広島庫夫さん(故人)と、庫夫さんの甥の広島日出国さん(OKI陸上競技部総監督)を思い出す人も多いだろう。庫夫さんは同小35回卒(昭和15年度)、日出国さんは44回卒(24年度)。
特に庫夫さんは、日本代表としてメルボルン、ローマと、連続してオリンピックに出場するという、輝かしい経歴の持ち主である。旭化成に入社する前、宇納間地蔵尊の石段を上り下りして足腰を鍛えたという。これが後の選手生活に生かされ、マラソンだけで30回も出場し、7度優勝している。
語り草となっているのは、第9回朝日マラソン(昭和30年12月11日・福岡)でのカルボーネン選手(フインランド)とのデッドヒート。このレースは、途中で熱心なファンが路上に飛び出し、庫夫さんのペースが乱れ2位。悔しさの残る大会となった。
同11回大会(32年12月1日・福岡)も、今度はコチラ選手(フインランド)とデッドヒートとなり、抜きつ抜かれつして振り切り、2時間21分40秒の自己ベストタイムで優勝した。ラジオ中継を聞いている方も、「コチラ」か「アチラ」わからなくなるほど、興奮したものである。
デッドヒートといえば、日出国さんも歴史に残るものすごいレースを、何度も経験している。19回朝日国際マラソン(40年10月10日・福岡)では、中尾隆行選手(東京)と、ゴール直前までし烈な争いを展開、2時間18分35秒8と、わずか3秒足らず振り切って優勝した。
翌20回大会(41年11月27日・福岡)は、マイク・ライアン選手(ニュージーランド)と、さらにすごいデッドヒートを演じ、0.6秒差というごくわずかの差で2着(2時間14分5秒2)となった。
日出国選手いわく「マラソンは、死に行くご(42.195キロ)たる」。まさしく人間の限界に挑むスポーツである。それにしても、北郷小から世界のマラソン界に、燦然(さんぜん)と輝く人物を2人も輩出したことは、永遠に誇れるだろう。
















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