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県北よもやま・・・⑰     延岡弁はもともと「関東弁」
By 0982.TV On 25 10月, 2008 At 05:18 PM | Categorized As コラム, 県北よもやま | With 0 Comments

 東京の下町のたばこ屋なんかで、店の前の自販機を指差して「ごめんください、ジュースを買うので5000円をこわしてくださいませんか」なんて言うと、変な顔される。東京では、お金を「こわす」は、たいてい「くずす」だからだ。

 

 だいたい店に入るとき(その店内で買うことがはっきりしている場合)は、江戸っ子は「ごめんください」とは言わない。子どもなら「ちょうだいな」、大人はふつう「くださいな」である。

 

 それはそれとして、もともと延岡弁は、東京弁ではないが「関東弁」なのである。しかも、九州でも珍しい関東弁地区なのである。関東弁を持ち込んだのは、旧延岡藩主一族と、その家中(藩士)たちだった。特に延岡を長期にわたって治めた内藤氏の影響を、言葉の上でも強く受けている。いわゆるご家中弁である。

 

 内藤氏は戦国時代末期、三河国(愛知)から上総(かずさ)国(千葉)に移り、江戸初期に磐城平(福島)藩主に。そして延享4年(1747)延岡に移った。

 

 内藤氏以前の延岡藩主の牧野氏も、三河国から来た。三河の前は下総(しもうさ)国(千葉)にいた。その前の三浦氏は下野(しもつけ)国(栃木)から延岡に移封されている。

 

 つまり旧延岡藩は、高橋、有馬と九州内の藩主が続いたあと、三浦、牧野、内藤と、関東に縁のある譜代大名が入ってきたことで、三浦氏以降、関東色が強まったことは疑う余地はない。

 

 江戸260年余の間に、5回も藩主が入れ代わる藩も珍しいが、幕府は3番目の三浦氏から、譜代で関東色の濃いクサビを、東九州の真ん中の延岡に打ち込んだ。 延岡周辺の外様藩に、にらみをきかせたのだ。その結果、延岡は江戸時代から関東の血が残る九州では異色の町なのである。

 

 しかし、言葉は明治以降、各地から集まった人が持ち込んだ言葉と混ざり合った。例えば延岡で日常使われる「オレどん」(私たち)の「どん」も、その1つではないかと思われる。もともと鹿児島など南九州で多く使われる言葉だが、 鹿児島弁の「オイどん」(私、自分自身)とは違い、延岡地方での「どん」は、複数形で使うことがほとんど。参考までに「せごどん」(西郷どん)の「どん」は、「殿」の意味。

 

 また県北で「どん」は、「茶どん(でん)飲ませちくんね」(お茶でも飲ませてください)といった使い方をすることもある。さらに同じ意味でも、鹿児島弁と少し違った言い回しをする場合がある。 例えば標準語で「だけど」(だけれども)は、鹿児島では「じゃどん」と言うのに対し、延岡など県北は「じゃけんどん」になる。

 

 いずれにしても、延岡地方のご家中弁はほとんど消えた。関東色も色あせた。それどころか、最近は延岡弁さえも、変になってきた。延岡弁という財産を守らねば。

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